飯田町燈籠山祭り(いいだまちとろやままつり)の公式サイトです。毎年7月20日.21日開催・石川県珠洲市にて開催・珠洲市指定無形民俗文化財・飯田町燈籠山祭り公式web

祭りの歴史

ルーツ

寛永年間(1624~1643)の初期、土用入り暑気甚だしい頃、春日神社の七柱の神々に町へ夕涼みをお出まし願ったのが始まりと言われています。
町の人々は賑々しくお迎えし、山車を造って町内を曳き廻り、神々の神慮慰め奉ったのが燈籠山祭りの始まりです。
飯田町での神様のおすずみの場所(御仮屋)は、海辺に近い町の中心部の十字路と決まっており、青竹を立てしめ縄を張り、榊神輿で渡御していました。
燈籠山人形のルーツは形や作り方も酷似していることから、青森県立ちねぶたとされています。他にも諸説あり、北前船が通っていた歴史から、いろいろな文化が取り入れられていると考えられています。また、独特の形から、燈籠山がオリジナルで、「飯田型」として発展していったのではないか?という考え方もあります。

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祭りの由来

「燈籠山祭り」は、珠洲市飯田町「春日神社」のお祭りで、その起源は、江戸時代・寛永初期に遡ります。春日神社に祀られえる神々たちに、町内へ「夕涼み」にお出まし願ったのが始まりで、神事としての名称は
「お涼み祭り」といい、毎年七月二十日に執り行われています。神々は当日早朝より氏子の担ぎだす「榊神輿」に移られ、町内に設けられた御旅所へとお出ましになられます。この「榊神輿」の御伴として行燈をつくりだしたのを期に、挙って自分達の元気な姿を見せようとしていた町民達が競い会うようになり、「燈籠山」が形成されてきました。

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「燈籠山」とは、下から地山(ジヤマ)・屋台(ヤタイ)・枠障子(ワクショウジ)・小台(コダイ)・大台(オオダイ)・人形と重ねあげた曳山を称したもので、高さは約16メートルにもなります。大正初期の電柱架設工事が始まるまでは、この大きな燈籠山7基が勇壮に曳き揃えらたものでした。
以後、地山・屋台だけを残し高さ約6~7メートルとなりましたが、戦後を経て昭和40年代には各町競って金箔・漆塗りをほどこした装飾豪華な曳山となり8基曳き揃えられるようになります。そんな中、昔の勇壮な燈籠山を復活させようと有志達により昭和58年に「燈籠山」一基を復元させました。そのときからの念願だった幹線道路に跨る架線の撤去も実現。平成24年には、春日神社を基点に飯田町をぐるり1周曳きまわせるようになりました。
毎年七月二十日・二十一日の両日が珠洲飯田の「燈籠山祭り」!
燈籠山や各町曳山「キャアラゲ」と呼ばれる木遣りを合図に、笛、太鼓、鐘の三音と曳き手の合いの声の調和をもって各町を巡行していきます。

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往時の燈籠山

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往時、飯田町の燈籠山は全町内7基(現在は全部で8町内8基)が燈籠山でした。

電線の架設により、燈籠山人形の曳きまわしが不可能となり、竹細工の人形だけが屋台の上や山車高欄の前に飾られて当時の名残を残していましたが、次第に燈籠山は影を潜めて行きます。

往時、約10尺~12尺(3~4m)の山車で、竹細工で紙張りの人形を飾りろうそくの明かりを点して町内を曳き廻しており、当時の人形題材:鯉の滝登り・菊水・太鼓の上に鶏等 後になって武者人形が作られたと言われています。

人形を掲げたきっかけ

「文化11年(1814)5月、春日神社勧請550年式年大祭における神輿渡御の折、大きな木枠(横2間余り)を作り、紙を貼って、天狗にカラスの絵を書きろうそくの明かりを点し、竹竿で担いで供奉した」と文献にも記されています。

同年、町の住人であった文蔵・有助・新兵衛・九平・弥兵衛・儀右衛門・惣五郎・新右衛門という人々が現在の山車では物足りなく感じ、もっと素晴らしい曳山にしたいと度々相談を重ね、当時越中の売薬人であった立野屋丈右衛門の口添えで、越中氷見の山車を参考にして白木造りの屋台を取り付け、枠障子、小台、大台、人形を重ね上げた7~8間(約14~15m)もある大きな山車造り上げました。

当時飾られた人形は加藤清正・新田義貞・那須与一・浦島太郎・金太郎・恵比寿等で、日清・日露戦争当時には兵隊等の軍事色豊かな人形が飾られたとされています。

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いにしえの燈籠山

各町内の人形に評議審査がなされ、順位が発表されたことも見物人の楽しみの一つとなり、各町内は競って工夫を凝らしていました。後に自動的に作動するものも作られていたそうです。更に工夫が重ねられ、白木造りの屋台・高欄・枠障子等に細やかな彫刻を施し、金箔漆塗りの極めて豪華絢爛たる曳山に仕上げられていきました。

      3:鍛治町 灯籠山 1

 大正に入り電線の架設工事がはじまり、竹細工の人形だけが屋台の上や山車高欄の前に飾られて当時の名残を残していたが、これも昭和の初め頃より子供たちの手踊りが盛んになり、影を薄めるに至りました。昭和末頃より、それまで記念や大祭の際のみ作られていた燈籠山が作られるようになり、平成に入るころには、燈籠山は2年に1度の制作され、毎年掲げられるようになりました。

6:祝能登線全通 

 その後、大きな祝い事があるときだけ、作られるようになった燈籠山は、地元有志の力と、祭りにかける想いが背景にあったのでしょう。そんな燈籠山は現在も地元有志に支えられ、観光資源として往時の大燈籠山1基を保存会、祭礼委員会が中心となり運行しています。
平成21年には、春日通り飯田側が電柱無柱化道路整備完成したため飯田わくわく広場を中心とし吾妻橋から飯田港湾線・春日通り・燈籠山通りをへて、栄町交差点まで曳くことができ、町民の永年の悲願が叶いました。

しかし、中央通りを廻り1周できることと、著しい人口減少に伴う人員確保が、祭礼を運営していく上での、今後の目標であり課題です。
2012年(平成24年)より、電線の地中化が進み、飯田町を一周することができるようになりました。
昔と変わらない文化継承はされつつ、新しい文化に応じて変化していく飯田町燈籠山祭り。
毎年少しづつ燈籠山祭りは進化し続けています。

春日神社の神事

 平成3年に榊神輿を修復、町内の中心部に御仮屋を仮設し、榊神輿渡御が復活した。
おすずみ祭りが元の姿に戻りつつあることは誠に喜ばしい限りである。また、榊神輿の渡御も交通の頻繁と神輿台の破損が甚だしく、昭和初期より中断されていました。
春日神社としての正式名称は「おすずみ祭り」と言います。別名という言い方をしますが、実はどちらも正式名称と言えます。「おすずみ祭り」はどこの各地でも行われていますので、わかりやすくするための名前が飯田町燈籠山祭りです。 飯田町でのおすずみ祭りは、7月20日に海のそばで神様がお涼み(禊)をされ、汚れを祓い、また神社へ戻っていくという、夏越しの神事です。
飯田町の山車には五平が付けられています。御幣も20日の朝にお祓いとともに神様がうつり、飯田町全体 の春汚れを祓いながら日運行しています。神社は天児屋根命神社(あまのこやねのみこと)をはじめとした七柱の神々が祀られています。当日は「御仮屋」という海に近い場所にて祭り当日はお祓いを受けます。御仮屋は、1日目の運行表に掲載されいます。御仮屋ではお祓い・お参りを受けることができ、いわば「神様の出張所」ともいえます。

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TEL &FAX 0768-82-7890 9:00-17:00(昼休・7/20・7/21・年末年始休み・不定休)

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